夜女神のエロス伝授

様々な性愛遍歴をもつ夜女神が一生使えるセ✧クステクニックを伝授しあなたのセ✧クスライフ向上に貢献します(男女共)

私が伝えられること

 

最近は、いろいろな方が性について発信する時代となってきました。

 

とても喜ばしい事ですね

 

いろんな人がいる、ということは、より私は何者か、私の特徴は何かを浮かび上がらせることになります。

 

夜女神は、フィジカル、メンタル、ソウルでのサポートをと考えておりますが、当ブログはフィジカルとメンタル(ここは共任)を受け持つ私、エロスが書かせていただいております。

 

では、私が伝えられることは何か

 

私が、その人生を通して伝えたいことは何か、を自身の整理も兼ねて綴っていこうと思います。

 

その経緯を振り返ると、大きく三つの時代に分かれました。

 

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私は幼少期より、性的な事に少なからず関心を持っていましたが、なぜでしょうね?もしかしたら結構同じ事を感じている方もいらっしゃるのかもしれませんが、

 

 

セックスの経験を通して「あれ、こんなものじゃないはずなのに・・・」「もっともっと素晴らしい体験のはずなのに・・・」

 

 

そういう「体験したことないのに、なぜかそれが素晴らしいものと知っている」という感覚。

 

 

それを高校生の時に感じて、その現実とのギャップに絶望したのでした。

 

 

しかし「素晴らしいのは確かだ」「私はあの恍惚と快感と幸福感に満ち溢れる感覚を得たいんだ」「セックスとは神聖さに溢れた神と繋がる行為である」という確信だけは残っていました。

 

「それを(また)体験したい」

 

その想いが溢れていました。

 

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高校卒業後は、美大の浪人生活でしたが、私のモチーフとして、昔から裸の女性を描きたい気持ちがダントツでしたので、描き溜めたり、知り合った現代アーティストさんのお手伝いをさせていただく中で、肌を露出させていただくこともありました。

 

不思議とそこに恥ずかしさは無く、美しいものとして自分で扱っていました。

 

浪人生活の中で、途中、上京することとなり、それと共に憧れの、風俗業界へ、希望を胸に入っていきました。

 

 

 こちらは10代の頃に描いた素描。

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■奉仕の時代~自己犠牲の時代~

 

この、風俗業界で働いていたとき、私の中でこれを「奉仕の時代」と位置付けます。

 

私は必要とされている仕事の質を超えて「いかにお客さんに気持ちよくなってもらえるか」を追求していました。

 

だから、ひとつひとつの仕事を、ある意味勤勉に、真面目に、丁寧に行っていました。

 

なので、とても喜んでもらえたり、感謝されたりすることは、当時の私にとって最大の喜びでした。

 

その真面目さゆえに、過剰サービスで店長に怒られた事もありましたが、、。

 

「それじゃだめなんです!」と言って喧嘩したのもいい思い出です。

(私がルール違反してたのですが、それほど情熱に溢れていたおりました)

 

さて、「奉仕の時代」は、

 

自身が様々なジャンルの性体験を積み重ねると共に、お客様に喜んでいただく事そのスキルを磨いていた訳ですが、それと同時に「お金をいただく」というところから、やはりこの世界、時に嫌だと思うお客様もいたりします。

 

お断りすれば済む話でも、当時の私の思考は「お金をいただくからには最善を」と思っていたので、正直自分の意に沿わない事も我慢する事もありました。

プロとしては当然かもしれませんが。

 

「奉仕の時代」は、副題をつけるなら「自己犠牲の時代」とも言えます。

 

様々な経験を楽しみ、自分の好奇心と性的探求に没入していましたが、不特定多数と体の関係を結ぶということはリスクも少なくありませんでした。

 

一番きついと感じたのは、いつも病気にかかる恐怖を抱えて過ごしていたところでしょうか。病院通いや治療。少しおりものが出たり、色に違和感があれば「あれ、これ大丈夫かな。何かもらっちゃったかな」とひやひやしていました。

何より、パートナーがいたので、彼に移っていないか、それがひどく罪悪感を伴うもので、神経をすり減らしていました。

 

私はよりリスクの少ない形態のお店へ渡り歩きました。

 

あるいは引き続き身体を使わない形、アートや映像作品で性と関わっていきます。

 

 

こちらは学生時代に出演したとある映像作品の一幕。一般の短編映画です。 

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そして、一般より遅れての大学受験と共に、お店への勤務をやめました。

 

こうして「奉仕の時代~自己犠牲の時代~」は終わを告げました。

 

 

自分を取り戻す時代、自分に快楽を許す時代

 

そこから先は主に、故意にしていただいた特定のお客様、あとはパートナーと過ごす事となっていきます。

 

特定の方とお付き合いをすることで、店舗で勤務していた頃に比べれば、一番神経を使っていた「病気のリスク」はかなり軽減されました。

 

しばらく続けていた夜型生活も終え、健康的な雰囲気が増していきます。

 

正直、夜型生活で太陽を浴びない生活、加えて性のお仕事、そして夜の街にいる様々な人々、というこの組み合わせは体はさることながら、エネルギー的にもかなりハードでした。性を神聖と思いつつも、多くの闇を内包する世界です。人間や社会の闇を見ることも趣味みたいなものでしたが、これ以上いると飲み込まれてしまう、危機を感じ脱出したようでもありました。

 

ここからを「自分を取り戻す時代、自分に快楽を許す時代」と位置づけます。

 

それなりにお付き合いが長い方々ということで、気分的にもリラックスできたり、一緒に楽しむ、という事に取り組んだ段階です。

 

奉仕精神に満ちた時代を過ごしてき私は、相手に喜んでもらうことを第一の目的としていたので、自分は置き去りの部分はありました。

 

これはセックスの大切な要素となりますが、「相手に感じてもらうには、自分がまず感じる事」「相手を愛おしく思う気持ち」がとても大切なので、特に前戯においては非常に皮膚感覚を開いて施しておりました。なので、相手への前戯は私への快楽でもあったりします。

 

しかし、視覚的、聴覚的に楽しんでもらう為に、いつの間にか「演技すること」が身に沁みついていました。

 

あとは、こういった仕事をしていたとはいえ、私はとてもとてもシャイです。

 

会話も昔から得意ではありません。

 

だからこそ、話メインのキャバクラには行こうと思ったこともなく、会話の要らない、皮膚などの感覚でのコミュニケーションの取れる風俗を選んだのですが。

 

なので、感じている演技はすれども、AVなんかで見る刺激的なセリフとか、セックス中に自分で自分を触る、ということはできませんでした。

 

こうして欲しい、なんてとても恥ずかしくて言えませんでした。

そういう要望があれば応えはしましたが。。

 

なので、いつもいつも「あ、そこじゃなくて」「それ痛い」「そうじゃない」「もっとして欲しい」そういった、自分の中に沸き起こる不満を、文字通り指を咥えて見ていました。そして、それの欲求を抑えてまだ奉仕心の強くこびりつく私は意に添わず、自分よりも相手にエネルギーを注いでしまって、それが後にシーツに残るシミのように、虚しさや、悲しみとして残っていた感覚がありました。

 

ここを超えていく事、それがこの時代の大きな特徴であり、課題でした。

 

つまり、完全に相手軸でしていたセックスを、自分の軸に少しずつ少しずつ移行していく取り組み。

 

本当に、そういう事を表明するのが苦手だったので、ここにはかなり時間と回数を重ねて参りました。

 

探索することは大好きだけど、踏み込めない状態

 

いわゆるアクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態

 

しかし不足感がある時にも少しずつそれを解消するような取り組みを密かにしておりました。

 

自分の要望を言えない、表現できずにもがいた時間。またイキにくいこの体質だから経てきたプロセスがあるわけです。

 

 

人の感覚とは多様で、ある方法が万人に通じるということはなかなかないものです。

つまりセックスで言えば、入れればいいという訳ではない、

一番大切なのは、自分が自分の一番の心地よさの理解者であることであり、それをどのように為しえていくか、です。

 

私の感覚がすべて他者に理解できないように、それはあなたにしか分かりません。

 

その為に、まずは自分の中の抑圧、不満といった、裏を返せば「願い」を拾う事、それを少しの勇気を使って伝えたり、話し合ったりすることで叶えていくというプロセスがありました。

 

 

■女王の時代                                 

 

そして現在私は、

 

「奉仕の時代~自己犠牲の時代~」

「自分を取り戻す時代、自分に快楽を許す時代」

を経て、いわば

「女王の時代」を迎えています。

 

「女王の時代」はより自分本位に快楽を追求し(自分を満たし)、それがパートナーに循環する段階です。片方が犠牲になるのでは無く、共に繁栄していく時代。

 

私は基本的に好きな人、愛する人、大切だと思う人とのセックスについて書いてまいります(関係性にはあまり興味ありません)

 

そういったパートナーとの「育むセックス」について語っていきたいのです。

 

好きだという想い、愛情があるからこそ嫌われたくない、という恐れが生じ、本来最大限に愛すべき自分自身がないがしろにされてしまいます。

 

相手を愛したい、慈しみたい、大切にしたい、という想いがあればこそ、相手を喜ばせたいという尊い気持ちが生じてきます。

 

大切な人だからこそ、長く時間をかけていく、二人で築き上げていく、想いを伝え、受け入れる、こういった共同創造とも言える親密なコミュニケーションができるのではないでしょうか。

 

時には言葉で、スキンシップで、肌と肌で、全身全霊で。

 

自分を愛し、相手も愛し、その愛が循環していく

 

こちらをセックスのお話を通してお伝えしていければと思っています。

 

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2016.10.1

夜女神 エロス